8. 十四年式拳銃(南部) 後期型: Type 14 Semi-Automatic Pistol, Late Production
大正14年(西暦1925年)制定、8mm口径/8連発自動拳銃
仕様
| 口径 | 8mm |
| 装弾数 | 8発+1発(薬室) |
| 全長 | 230mm |
| 全高 | 150mm |
| 銃身長 | 120mm |
| 厚さ | 27.5mm |
| 重量 | 920g |
写真の拳銃:製造番号6534、昭和17年5月、名古屋工廠、南部工場製。
十四年式は日本陸軍が初めて正式採用した8連発(薬室に1発残しておけば9連発になる)の軍用自動拳銃(8mm銃弾の項)。
以前は二十六年式(口径9mmの6連発回転式)拳銃が陸軍の正式拳銃だった。
十四年式拳銃のルーツは南部式拳銃にある。
南部式は明治35年(西暦1902年)に登場した、名前の通り南部麒次郎(きじろう)氏が開発した自動拳銃であるが高価であったため陸軍の正式採用とはならなかった。 日本陸軍では将校は自費で拳銃を購入しなければならなかったため(多くの将校の個人装備が自費購入だった様だ)、個人で購入して使用した例はある。
しかし海軍には受け入れられ陸戦隊が南部拳銃を正式採用した。
南部式拳銃の外観はその2年前に登場したルガーにやや似ている。 ルガーのデザインは非常に優れているためそれを真似たのは当然だろう。 だがその機構は大きく異なる。 ルガーの場合はリコイルに尺取虫の様なトグルリンクを使用しているが南部式は普通のスプリングを使っている。
十四年式は南部式発表23年後、それを基にしてより簡素で安価な(言い方を変えればより頑丈な、軍用向きの)拳銃に改良した物である。
形状はやはりルガーに似ているがルガーのような優雅な雰囲気は全くない。
余分な贅肉は削ぎ落とされ、直線を基調にした十四年式拳銃はいかつい、無骨な面構えだがいかにも軍用拳銃という感じだ。
かなり大型のこの拳銃、当時の小柄な日本人には大きすぎたのではないかとも思う。しかしグリップが細身で握りやすく、弾が入った状態で持ったときの重量バランスは非常に良い。
南部式同様に十四年式拳銃の機構は小銃のボルトアクションに近い(もちろん小銃は手動で次弾装填を行ない十四年式拳銃は自動という違いはある)。
いわゆるストライカー方式の拳銃でボルトを後方に引く事により弾がマガジンから持ち上がり、ボルトが戻るときにチェンバー(薬室)に押し込まれる。
ボルトの引き出し操作は同時にボルト内にあるファイアリングピン(撃芯)を後退させ、シアバーにラッチさせる。 ボルトが元に戻ったときにはファイアリングピンはラッチされた状態で元には戻らない。 この時ファイアリング内部にあるスプリングが圧縮された状態になっている。
射撃時、トリガーを引き絞る事により連動したシアバーが動作しファイアリングピンとのラッチが外れてファイアリングピンはスプリングの反発力で勢い良く前に押し出されプライマリー(雷管)に激しくぶつかり発火させるというしくみだ。
ファイアリングピンを矢に例えれば弓(ばね)を引き絞って矢(ファイアリングピン)を射ると言った感じになる。 この方式は三十八式、九九式と言った小銃の撃発方法と全く同じだ。
ちなみにその後登場した九四式拳銃は見た目ではボルトの後退の様子など十四年式に似ているが実は中にハンマーが入っているので方式は違う。
当時(南部式拳銃の登場直後)似たような機構を使った自動拳銃にオーストリアのM1907ロース・スタイアー(M1907 Roth Steyr)がある。 この銃はオーストリア-ハンガリー帝国陸軍に西暦1907年採用された。 8mm口径だがケースはボトルネックではない。 また装弾はマガジン方式ではなくまさにボルトアクションライフルの如く上部からクリップを使って装填した。 この装填方法を採用した銃はマウザーC-96(日本ではモーゼル拳銃として名が通っている)が有名。
南部式との違いは外観の違いのほかに、機構の違いとして南部式ではリコイルスプリングが1本で銃の左側にはみ出すように装着されている(従って銃の左側と右側ではかなり見た目が違う、南部式拳銃写真)のに対して、十四年式はリコイルスプリングを2本に分け、胴体の中、左右にバランス良く収めているので余分な突起がない(写真1、写真2、及び分解図参照)。 非常に良く出来た機構だが実際はこの2本のスプリングが弱く、連続射撃や長期間使用で弾の装填ミス(ジャム)が発生する事があった。
可動部分が少なく、道具がなくても簡単に分解できる。 コッキングピースがネジ止めされていて、組み立ての際に貫通しているファイアリングスプリングガイドの位置を合わせながらネジを締めるのは少し面倒だが取り立てて問題とするような事ではない。
部品点数は少ないので掃除は容易に出来る。 これは軍用拳銃として優れた点だ。もっとも拳銃は道具無しで分解できるのが当たり前の事だから十四年式が特別この点で優れていたというわけではない。
本体左側に十四年式と刻印されている。右側には製造工廠、工場印と製造番号、それに製造年月が刻印されている。 刻印には白い塗料が流し込まれているが、長い年月を経てすっかり取れている銃も多い。 また主要部品一つ一つに製造番号の下3桁が刻印されている。
安全装置は銃左側にある。 大き目のレバー式で前方に倒すと射撃可能、180度まわして後方に倒すと内部でピンがシア・バーを押さえ込んで引き金が引けないようになる。 それぞれ”火”、”安”と刻印されている。片手で操作できる構造ではない。
欠点としては日本人にはやや大きすぎる事、ジャムが発生しやすい事、それに即応性に欠ける事(安全装置)だろう。
ただし将校や憲兵が威嚇の為に用いるような場合はこれらは欠点とはならない。
他の欠点として強いてあげるとやや安全性に欠ける事があげられる。 これはシア・バー(引き金の動きを撃針に伝える棒)が銃の後ろ側でむき出しになっているのでコックした状態だと安全装置がかかっていてもここをいじると弾が出てしまう(写真1、写真2)。
わざわざいじる人は普通はいないので通常の使用で問題が生じる事はなかった物と思うが、安全装置が掛かっていても弾が出る可能性がある事は確かだ。 陸軍に正式採用された時にこの点が考慮されたのかどうかわからないが最初から欠点という認識がなかったか、あるいは取り扱いに注意さえすれば事故は防げると判断したものと思う。
この安全性の欠点は後に登場した九四式拳銃で極端に悪化した。九四式(皇紀2594年/昭和9年、西暦1934年制定)は大型の十四年式が士官から敬遠されたために南部氏が小型拳銃の必要を感じ開発し、陸軍からは戦車兵やパイロットの様な特殊任務用として採用された拳銃だ。
この拳銃はシア・バーが胴体左側に沿ってむき出しになっているのでここを指で押しただけで弾が出てしまう。 ただし安全装置をかけておけば暴発の危険性はかなり減ったと思う。 何れにしろ引き金を引かないで銃の横を押すと弾が出るというのは重大な欠陥だ。 このような銃が一国の軍隊で正式採用された事は驚きに値するが恐らく銃に対する評価、判断の基準が軍隊と一般で異なるのだろう。
初期型から後期型への変化:
大正14年に採用され生産が始まった十四年式拳銃だが実戦使用で幾つか不具合が指摘され昭和14年頃から改良版が登場した。
見た目で一番の違いはトリガーガードの形状である。初期型は丸、それもほぼ真円だが後期型は手袋をした状態でも引き金が引けるように楕円で大きくなった(写真)。 これは満州や北部中国など北方での実戦経験から出た改善案だろう。このタイプは昭和17年(西暦1942年)以降から登場した。
次に目立つ違いは銃後部のコッキングピース。 初期型は三重になって深い溝が刻まれかなり凝った形をしているが、削り出しなので作るのに手間が掛かる。 後期型はかなり簡略化されて深い溝がなくなり細かい刻み目だけになった。 後期型のコッキング・ピースは昭和19年(西暦1944年)、大戦末期から登場する。
一部安全装置がらみの変更も加えられた。 初期型は装弾された状態で弾倉を抜いても引き金を引くと薬室に残った弾が発射された。 後期型では弾倉を抜くとロックが掛かって引き金がひけない、いわゆるマガジン・セーフティが付いた。
詳しく説明すると通常弾倉が入っている状態では弾倉がピンを押し上げてロックが掛からないようにしているが弾倉を抜くとピンが下がりロックが掛かる。 このピンはばねで下に押し付けられている(ロック状態)のを弾倉で上に押し上げてロックをはずしているわけだ(写真1、写真2)。
要するに弾倉には常にこのばねで押し下げる力が、つまり弾倉をはずす方向に加わっている事になる。 弾倉が簡単に抜けないようなストッパーは初期型にも付いているが引っ掛かりが弱いかったり、射撃中に指で弾倉止めのボタンを押したりして何かの拍子に抜けてしまう可能性があった。 そこにばねで更に抜けやすくしたので新たなストッパーが必要になった。 後期型ではグリップ前方の下の方に穴を開け、板ばねを付けて弾倉を押え込むようにした。
写真の拳銃にもその穴は開いているが板ばねは破損している(写真)。 ただしグリップの内側に板ばねが残っていてそれがかろうじてストッパーの役を果たしている。
この違いのため、後期型の弾倉には板ばねが掛かる位置に穴が開けられているが(写真)前期型には穴はない(写真)。 従って前期型の弾倉は後期型の拳銃には合わない(無理して使えない事はないと思うが)。
弾倉は仕上げも初期と後期で異なる。初期型弾倉はニッケルメッキで銀色だが後期型はブルー(黒染め)仕上げになった。
他に引き金などの部品類の仕上げが初期の物は麦わら色の様な茶色に仕上げてあったが後期、特に大戦末期には全ての部品がブルー(黒染め)仕上げになった。この黒染めの厚みも徐々に薄くなった。
主に太平洋戦争開始以降、戦争末期になるにつれて仕上げが荒くなり旋盤の削りあとなどが目立つようになる。これらの仕上げの劣化は製造工場ごとに変化の度合いが異なるがこれは各工場の方針、そこで働く職人の技能に差があった為だと思う。
ホルスター:
初期の物は牛革で非常にしっかりした作り。厚みもかなりある。
後にゴム引きキャンバス製の物も作られた。昭和16年以降に作られ、軍に引き渡された十四年式拳銃には全てゴム引きキャンバス製ホルスターが付けられたという。
銃がすっぽり入るサイズで更に予備の弾入れが付いているのでかなり大きい。 このホルスターにはクリーニングロッド、予備の弾倉、そして予備の弾(30発)を入れた。他に予備の撃針(ファイアリング・ピン)を入れる事もあったようだ。
クリーニングロッドの仕上げも後期型は黒染めされているが前期型は銀色である。
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左右側面から並べて比較すると |
背中合わせにして比較すると |
銃身部にそって並べて比較 すると十四年式の全長が 際立つ。 薬室からの銃身長は それほど違わない。 |
銃口部の比較。 M1911A1、45口径の 大きさが良くわかる。 | |
最終更新日:04/13/02